大淀養護学校との交流

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 2月19日(火)、大淀養護学校と本校1年生が交流をしました。4時間目の学活の時間に、一緒に"どら焼き"を作りました。
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 ホットケーキミックスをこねて、ホットプレイトで焼きました。 生地をプレートに流し込む作業を一緒にしました。「ちょっと焼きすぎたぁ・・」という班もありましたが、大成功! とても上手にできました。
 中身は、あんこ、チョコレートなど、みんな大好きなものばかりで、たくさん出来た"どら焼き"もペロリ・・・ぜーんぶ食べました!
 


 その後、1年生A組で給食を食べました。その日のメニューは「八宝菜」。一緒におかわりもしました。おしゃべりをしていると、自動車や電車など、乗り物が大好きな事がわかりました。大好きなだけあって、とても詳しくて、毎日、学校の図書館に行っていると教えてくれました。
 1年生の皆さんは、図書室へはどれくらいの間隔で行っているのでしょうか? 本は読んでいますか? 友達のいいところは見習いたいですね。

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 見た目はイマイチと思うかもしれませんが、味は世界一! 友情がいっぱい詰まった"どら焼き"です。
 お互いを理解するために、共に活動する機会を作る事は大切な事です。

今日の出会いに感謝したいと思います。
今日の活動をうれしく思います。




わたしはひろがる   岸武雄

わたしは小さいとき、
おやつのお菓子が弟より大きくないとおこった。
じだんだふんで泣いたこともある。
わたしが世界のすべてであった。
わたしが世界のすべてであった。

やがてわたしは、弟もわたしと同じように、
大きいお菓子をほしがっていることが、わかってきた。
わたしはけんかしながらも、
同じように分けることをおぼえた。

ときには、弟があまりうまそうに食べるので、
自分のぶんも分けてやった。
弟といっしょにお菓子を食べると、
お菓子の分量はへったが、なんとなく楽しい。
こうして、わたしの中へ弟がはいってきた。
こうして、わたしの中へ弟がはいってきた。

おかあさんがどんなに忙しそうに働いていても、
わたしは、平気だった。
おかあさんは、ああいうものだと考えていた。
やがてわたしは、「おかあちゃん わたしも手伝おうか」
と、いえるようになった。
おかあさんと仕事をすると、
なんとなく楽しい。
こうして、わたしの中へおかあさんがはいってきた。
こうして、わたしの中へおかあさんがはいってきた。

わたしは勉強するとき、
テストのことがいつも気になった。
どんなに仲のよい遊び友だちも、
テストになると、かたきのように思えた。
あの子、まちがえてくれないかなあ、と、
ひそかに心の中で思ったこともある。
テストが、わたしの勉強のすべてであった。
テストが、わたしの勉強のすべてであった。

やがてわたしは、小さいグループで、
教え合ったり助け合ったりして勉強することをおぼえた。
こうした勉強をつづけていると、
わかっているつもりの問題も、友だちから質問されると、
何と答えてよいのかわからぬことが、たくさん出てきた。
今までできないと思っていた友だちが、
だんだんえらく思えてきた。
こうして、わたしの中へ、友だちがはいってきた。
遊び友だちばかりでなく、勉強の友だちがはいってきた。

養護の子がへんなことをいうと、
わたしはよく声をあげてわらった。
わたしとは生まれのちがう、
あわれな子だと考えていた。

でも遊んでやらねば、と思って
がまんしてつき合っていた。
しかし、このごろ養護の子はわたしを見ると、
「おはよう」といって明るくとびこんでくる。
すると、わたしの心は蕾のようにふくらんでくる。
とてもあんなすなおな子には、かなわない。
こうして、わたしの中へ養護の子がはいってきた。
こうして、わたしの中へ養護の子がはいってきた。

わたしは理科の勉強をしながら
大きくなったらすばらしい発明や発見をして、
お金や名誉で身をかざろうと考えていた。
しかし、先生に科学の歴史のお話を聞いてから、
わたしの考えは、だいぶん変わってきた。
つまり、どんなにすばらしい発明や発見をしても、
なかまのしあわせにならねば、 
なんにもならないと、考えるようになった。
かのノーベル博士が、
自分の発明したダイナマイトが、戦争のために使われるのを悲しんで、
人類の平和と文化のために尽くした人々におくる、
ノーベル賞をつくった気持ちが、
少しわかったような気がする。
こうして、わたしの中へ、ほんとうの勉強のめあてがはいってきた。
こうして、わたしの中へ、ほんとうの勉強のめあてがはいってきた。

わたしは社会科を勉強しながら、
数字やグラフを一生けんめい暗記した。
日本が生産力で世界第何位と聞くと、
ただそれだけで、むねを張って喜んでいた。
やがてこうした数字やグラフの背後には、
ひたいに汗して働く人々のいることを考えるようになった。
こういう人々がすべてしあわせにならねば、
日本の国はいばれないと思うようになった。
こうして、わたしの中へ愛国心がはいってきた。
こうして、わたしの中へ愛国心がはいってきた。

わたしはベトナムの悲しい写真を見ても、
アフリカのあわれな黒人の話を聞いても、
遠い国のできごとのように思って、平気だった。

でも、このごろは、
ベトナム人も黒人も、わたしたちのなかまのように考える。
ベトナムの写真をみたり、黒人の話を聞くと、
心がうずき、むねがいたむ。
こうして、わたしの中へ、ベトナム人や黒人がはいってきた。
こうして、わたしの中へ、ベトナム人や黒人がはいってきた。

ああ、わたしはたったひとりなのに、
むねの中のわたしは、
弟もおかあさんも養護の子も、ベトナム人まで包んで
ひろがる、ひろがる......。

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